1、『霜月要、享年11歳』

軽快な目覚まし時計の音で目が覚めた。寝ぼけ眼のまま布団から手を伸ばしてスヌーズごと止めると、静かに起き上がって小さく伸びをした。

「……夢、か」

冬の初めだというのに寝汗をかいており、パジャマが肌に張り付いて気持ち悪い。嫌な夢を見ていた気がする。けれど、何を見ていたのか全く覚えていない。ただ、言いようのない不快感があった。

「夢なんか気にしてたら遅刻するな。急ぐか」

軽く頭を振って夢のことを脳みそから追い出し、朝食の用意に取り掛かった。

†‡†‡†‡†‡†‡

登校すると周りからの視線が突き刺さる。本人たちは小声のつもりだろうけど、ひそひそと話している言葉はしっかりと耳に届いている。その全てが、気分のいいものではない。

エメラルドグリーンの髪色に翡翠色の瞳。生まれ持ったこの容姿は誰からも嫌われる要素だった。別にハーフではない。確かに、死んでしまった母親は色素が薄い体質ではあったけど、両親共に純日本人だった。だから親戚からは疎まれ、皮肉を込めてこう呼ばれた。「氷のようだ」と。

「霜月、ちょっと良いか」

ふと呼ばれて顔を上げると、そこにいたのは院長だった。院長と言ってもここは病院ではなくて学院。つまりは学園長や校長と言い換えられる存在だ。

「……何ですか」
「理事長室まで少し遣いに行ってもらえんかの?」
「嫌ですよ。俺が行かなくても院長が行けばいいじゃないですか」
「話があるそうじゃ」

嫌な予感がする。直感的にそう思った。

ここ、西条考古学院は国内、否、世界でもトップクラスの学力を誇る私立校である。創設に携わった理事長自身は世界的にも有名な学者で、その実力は指折りのものだ。そんな学院に、ある年に異端児が突然現れた。

それが俺――霜月要だった。

学力を突き詰めた末の飛び級制度の下、当時8歳という史上最年少で主席入学しただけでなく、今に至る3年間ずっと、一度たりとも主席の座を他人に譲ったことがなかった。この容姿のせいで一線引かれていた俺の周りからは、完全に人がいなくなっていた。

そして、理事長から目をつけられた。俺は全くそのつもりはないのだが、本人は座を奪われるのではないかと目の敵にしている、という噂を聞いた。だから極力会いたくない人物なのだ。

「けど行かなかったら何されることやら……。面倒臭え」

嫌がらせを受けるのは目に見えている。強盗殺人によって家族を一昼にして奪われた俺にとって、西条考古学院の寮が家も同然で、ここにいられなくなるような事態だけはどうしても避けたいものがある。だからどんなに嫌でも行く以外に選択肢なんてなかった。

「すまんの。儂も彼とはなかなか馬が合わなくてな」

だったら院長なんてやめてしまえばいいのに。そんな言葉を溜め息に換えて理事長室に向かうことにした。

一体何の話をされるのやら、思い当たることを一通り並べてそれぞれの返しを頭の中で考えていく。結局、思い当たることがあまりにも多すぎて理事長室に到着する頃には半分のシミュレーションも終わらなかった。また溜め息をついてドアノブに手をかけた、その時だった。

『霜月要は追放すべきだ!』

時間が止まったような感覚に陥った。恐らくは呼吸することすら忘れていたのかもしれない。全て停止してしまった中で唯一かろうじて機能していた耳は部屋の中から聞こえてくる会話を一字一句漏らすことなく頭に流し込んでいた。

『理事長……何もそこまでしなくても』
『西条考古学院のトップはこの私だ! あんな子供に奪われてたまるか!』
『あの子がそんなことを目論んでいるとは思いません。他の子達より勉強ができるだけじゃないですか』
『私を越える学力なんか必要ない!』
『まあ、まあ』

ああ……そういうことなのか。完全に停止しそうな思考で理解した。理解した時には、校舎を飛び出していた。どこをどう走ったんだろう。気づいた頃には郊外の大通りの交差点で信号待ちをしていた。

「なんで、こうなったんだ……」

呟いたところで声も喧騒に吸い込まれる。

初めて、人生で初めて“死にたい”と思った。家族を失った時も、大切な親友を失った時も、周りからどれだけ白い目で見られようと、なんとか踏ん張って生きてきた。だけど、今のたった1つの居場所である学院を追い出されたら、どこに行けばいい? こんな俺が過ごせるところなんて、どこにもない。

無意識に首元のチョーカーを握りしめていた。最初で最後の、今は亡き親友と交わした“証”。

「……そっか。俺、なんで生きてんだろうな、馬鹿みたいだ。さっさと死ねばみんなと会えるじゃん」

歪な笑みを浮かべているのが自分でもわかる。本気だった。

赤信号から変わらない横断歩道に一歩踏み込む。周りにいた歩行者がざわついたのが聞こえる。止めるなら止めてみろよ、口先だけの偽善者共が。危ないだとか死ぬだとか言ってるくらいなら体張って止めてみろよ。そうしないことくらい知ってるんだ。どうせ自分は関係ないからって見てるだけなんだろ。……あーあ、こんな息苦しい世界で生きるくらいなら、さっさと終わらせよう。

また一歩進む。けたたましいクラクションの音が鳴り響く。直後に鈍痛が襲ってきた。足が地面から離れる。空気を切る音が頭の中に響く。ゴキッという、どこかの骨が折れる音も聞こえ、苦い鉄の味が口の中に満たされて地面に投げ出された。身体中が痛い。後頭部がやたらとガンガン脈打ち、意識が朦朧とする。

ふと、力なくアスファルトに触れている俺の手に生暖かいものが流れていく感覚に気づいた。夢でよく見た、真っ赤で真っ黒な液体。瞬時に、頭の中に2度と思い出したくない光景が蘇った。血で染まる部屋。歩くたびにぴちゃりぴちゃりと音を立てる床。生臭い鉄の臭い。動かない両親だった肉塊。

これが走馬灯ってやつなのかな。そうか、じゃあ本当にこれで死ぬことができるんだ。

お父さん、お母さん、兄貴、彩加。今、そっちに行くからな……。

ゆっくり息を吐いたら体が完全に動かなくなり、俺は静かに目を閉じた。

西条考古学院在籍 3年・霜月要は、11年という短い人生に幕を閉じた。
――そう、誰もが思っていた。

†‡†‡†‡†‡†‡

『かなめ……』

声が聞こえる。

『かなめ……起きな……』

誰だろう……すごく懐かしくて、すごく悲しい。この暖かい感じを知っている。声を聴くだけで陽だまりにいるような、そんな感覚になるこの声を、知ってる。

「おにい、ちゃん……?」

ゆっくり目を開ける。一番に目に入ってきたのは“白”だった。壁か、天井か、そんなことはわからない。ただ、ただ、白かった。

「要、起きたか?」
「おにい、ちゃ……」

また懐かしい声が聞こえて振り返ってみたものの、言葉はそれ以上は続かなかった。
星のようにきらめく銀色の髪、切れ長で糸目さながらに細められた目から覗く深紅色の瞳、景色に溶け込んでしまいそうな、真っ白い服。

違う、兄じゃない。

「おはよう」
「……誰」
「俺の名前は銀。お前らの言葉を借りるなら、神様と呼ばれる存在だ」
「イタイ子はどうぞ家に帰ってください」
「酷いっ!?」

何なんだ、この残念度の高い残念男は。一瞬でも兄だと間違えた俺を心の底から恨むぞ。っていうか、神様とか言い出すあたり、こいつの頭は本当に大丈夫なんだろうか。

「霜月要、享年11歳。4歳の時に両親が強盗殺人に遭ったことで死亡、その際に兄が行方不明となった。5歳で知り合った少女と7歳の時に死に別れ、つい先ほどに自身もトラックの前に身を投げ出して死亡」
「な……っ!」
「間違いがあったら訂正してくれて構わないぜ」

手元の資料らしきものを見ながら淡々と告げるそいつに、俺は何一つとして言い返すことはできなかった。だって、全部本当のことだから。両親を亡くした経歴も、兄貴がいなくなったことも、大切な親友すら失ったことでさえも。

「訂正しないってことは俺の話を信じてくれる気になったか? いや、信じてくれないことには話も進められないんだけどな」

何も答えない。まだ疑っているというのが本音だが、さっさと話しを進めてくれという意も込めてあった。どうやらその意図は通じたようだ。銀は小さく頷いた。

「まず、霜月要、お前は今日死ぬはずではなかった」
「は?」
「俺たち神様にも役職ってのがあるんだけどな、その中にはもちろん人の生死に関わる事象を司っている奴もいる。今回、お前が自殺って手段をとることになったのは、そいつの管理する書類にそう記載されていたからだ。病死だろうと事故死だろうと、全部神が作った書類に基づいたお前らの最期なんだ。んで、問題はこっからだ。要の自殺行為については何も間違っちゃいないんだな、これが。何が悪かったのかっていうと、日付がずれてたんだ、1年もな。本来あるべきは、1年後の今日なんだ」

ちょっとストップ。いくら俺でもさすがに理解のキャパシティが容量オーバーを引き起こしているから、頼むから待ってくれ。

つまり、俺が死にたいって思うほど落ち込んだのも、トラックの前に飛び出したことも、全部、何もかも、初めから決まっていたことだってのか? ……日付だけは違うみたいだけど。

「神のミスによって死人を出すってのはめちゃくちゃ重い規則違反になるんでな、そいつに関しては処罰待ちだ。いや、そっちのことなんかどうでもいい。重要なのはお前の今後だ」

……あー、はい。

「もちろん、そういう奴が出ちまった時の規則も存在しててな、まあ稀っちゃ稀だけど、『神の怠慢によって天寿を全うできなかった者は無条件の転生を認める』ってことにはなってんだ」
「……で?」
「そんで、魂を管理する役目のある俺が黄泉に送らずに、こうして説明して、転生に関して相談するんだ」

学校の進路相談かよ。なんてツッコミを入れたのは内緒だ。

「てか、何? 転生先って俺が決めていいもんなの?」
「というか、候補がいくつかあるからそん中から選んでくれって感じかな。あ、ジャンルは決めていいよ」
「ジャンル?」

ジャンルっていうのはSFだとか、ファンタジーだとか、そんな感じの奴だろうか。だとしたらファンタジーには少し憧れてるけど……。

「漫画とか、アニメとか、映画とかetc.」
「そっちのジャンル!?」

まさかの二次元限定だった。

「じゃあ……漫画」

がっつりオタクっていうほど詳しいわけでもないけど、一応知っているものもあるし、なんて軽い気持ちで選ぶ。アレだよ、深く考えるのが面倒なんだ。

俺が指定したジャンルから、こいつ(えっと……名前何だっけ)が世代的に合うだろうとピックアップしたデータが現れる。なんだかんだでわからない作品ばかりで流し目でざっと目を通していたが、とある作品で思わず手が止まった。

「リボーン……」

家庭教師ヒットマンREBORN!
昔、一度だけ他人から激推しされて一応借りて読んだことがあって、それがきっかけでハマってしまった。自分で漫画をそろえるどころか、アニメにも手を出し小説まで買いあさり、番外作品やイラスト集までもすべて集めるという柄にもないオタクじみた行動を発揮した、唯一の作品。

「それにするのか?」

手が止まっていたことに気が付いたのか、そう問いかけられた。どこに転生したいか。もう一度人生をやり直すならどこでやりたいか。だとしたら一番世界観と流れを把握しているこの世界リボーンが適材なのは言わずもがなである。

だから、俺は小さく頷いた。

「わかった。あとは……特殊能力の付与が可能になるのと、原作キャラと関わりのある立場に転生が可能になるのと、ってあるんだけど」
「能力はなくていいや。あー……でも待って。身体能力だけは上げておきたい。関係性もいらねえや」

何かに頼りっきりになって生きるのは性に合わないし、わざわざそんなことしてまで関係を結びたいと思うキャラもいない。……仲良くなりたいキャラがいないと言ったらうそになるけど。けど、できる限り傍観者という立場をとりたい。そう、どこにでもいるモブキャラのような。

よく知っている世界だからこそ、よく知った出来事をこの目で生で見てみたい。よく知っている世界だからこそ、誰とも干渉しない距離から眺めていきたい。身体能力を上げてもらうのは二次災害予防で、ただの保険。

「てことは、原作開始の時間まで誰とも絡みなしでいいってことか?」
「そうなるな」
「了解。じゃあ元のルートになるな」
「元のルート?」

なんだかその言葉が気にかかって聞き返す。

「ああ。特に要望のない奴は転生前と同じ人生を歩むことになってんだ。もちろん転生の記憶は消す。まあ原作開始が近づくと自然に思い出せるんだけどな」

体が冷える感覚がした。吐き気を催すような、頭がくらくらするような、嫌な感覚に襲われた気がした。

「そ、それって、つまり、また、あの、悲劇、が……俺、は、また、家族、を……」

うまく言葉にならない。俺が俺である限り、何度だって脳裏に蘇るあの光景。胸が締め付けられるように苦しい。うまく息ができない。

「落ち着け要。誰かも言ってただろ。人生は選択の連続だ、ってな」
「ち、が……そういう、いみ、じゃ」
「だから落ち着けって。人の話は最後まで聞けよ? 確かに同じ人生を歩むことになるし、お前はまた誰かを失うかもしれない。けどな、そんなの可能性でしかない。お前がお前の思うように生きていれば、何か変わることだって十分にあり得るんだぜ」

俺の頭に手が乗せられる。温かくて、優しい手。俺が大好きで大好きで仕方なかった、あいつと同じぬくもり。

「今は悔やむな。お前にできるのは、与えられたチャンスを精一杯に進むことだ」

少しずつ頭の中が霞がかる。視界もぼやけ始め、体が重く感じる。
なんだ、これ……。

「行ってらっしゃい、要」

ふわりと笑うその表情が最後に見た景色だった。何か言わなきゃ。そんな思いに駆られたが、声が出るよりも先に、俺の意識は闇の中へと沈んだ。

†‡†‡†‡†‡†‡

「随分と意地の悪いことを言うんだね、君は」

後ろからかけられた声に、俺は振り向くことをしなかった。

「決められた運命には抗えない。それは君がよく知っていることだろう」
「確かに、少し無責任な発言をしたかもしれません。ですが、俺は間違ったことをしたと思っていません。要は、それを望んでいるから」

クスッと後ろにいる人物が笑うのが聞こえた。馬鹿なことを言ってるな、なんて思われてんだろうな、俺は。

「彼女のことは君に一任するよ。せいぜい成果を見せてくれたまえ」
「言われなくても」

ちらりと振り返ったそこには、もう誰の姿もありはしなかった。

†‡†‡†‡†‡†‡

どこかの闇の中で俺の意識はふわふわと漂っていた。自分がだれで、どうしてこんなところにいるのか。思い出そうとしても靄がかかったかのように何もわからない。

ふと、遠くの方に光が一筋見えた。同時に、その光へと吸い込まれるかのように俺の体が滑り始める。光がだんだん大きくなっていく。もうすぐ、もうすぐ。光をくぐり抜けて、そして――

――『私』は誕生した。

「おめでとうございます。元気な女の子です」
「まあ、なんて可愛らしい。名前、まだ決めていなかったわね」
「そうだね……誰からも『必要』とされる存在になるように、かなめはどうだろうか」
「ええ、素敵だわ。……要、私たちの愛しい子」
「おや外を見てごらん。霜が降りている。どうりで寒いわけだね。体を冷やさないようにしなくちゃ」
「ありがとう」

11月2日。初霜が降りたこの日、一人の女の子が生を受けた。親の願いを込めて『要』と名付けられた少女。この物語は、彼女の数奇な人生を綴ったものである。

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