2、『行くよ、並盛中学校』

軽快な目覚まし時計の音で目が覚めた。寝ぼけ眼のまま布団から手を伸ばしてスヌーズごと止めると、静かに起き上がって小さく伸びをした。

「……夢、か」

冬の真っ最中だというのに寝汗をかいており、パジャマが肌に張り付いて気持ち悪い。嫌な夢を見ていた気がする。けれど、何を見ていたのか全く覚えていない。ただ、言いようのない不快感があった。

「夢なんか気にしてたら遅刻するな。急ぐか」

軽く頭を振って夢のことを脳みそから追い出し、朝食の用意に取り掛かった。

†‡†‡†‡†‡†‡

登校すると周りからの視線が突き刺さる。本人たちは小声のつもりだろうけど、ひそひそと話している言葉はしっかりと耳に届いている。その全てが、気分のいいものではない。

エメラルドグリーンの髪色に翡翠色の瞳。生まれ持ったこの容姿は誰からも嫌われる要素だった。別にハーフではない。確かに、死んでしまった母親は色素が薄い体質ではあったけど、両親共に純日本人だった。だから親戚からは疎まれ、皮肉を込めてこう呼ばれた。「氷のようだ」と。

「霜月、ちょっと良いか」

ふと呼ばれて顔を上げると、そこにいたのは院長だった。院長と言ってもここは病院ではなくて学院。つまりは学園長や校長と言い換えられる存在だ。

「……何ですか」
「理事長室まで少し遣いに行ってもらえんかの?」
「嫌ですよ。俺が行かなくても院長が行けばいいじゃないですか」
「話があるそうじゃ」

嫌な予感がする。それと同時に違和感を覚えた。まるで、前にも同じ会話をしたかのような感覚。わかりやすく言うならば、既視感。いや、そんなはずはない。なにせ理事長に呼び出されたのは今日が初めてだ。何度も呼ばれてたまるか。

俺――霜月要は少しばかり首をひねった。今まで生きてきて既視感を覚えたのは、実は今回が初めてではない。何度も何度も、それはもう気持ち悪くなるくらいに何度も、頻繁に既視感に悩まれていた。本当に気持ち悪い。

「……まあいいか。行かなきゃ面倒なことになりそうだし」

違和感を忘れるかのように自分の手の甲をを強めにつねった。

理事長は目に見えて俺のことを嫌っている。行かないなんて行動をとれば、嫌がらせを受けるのは目に見えていた。

強盗殺人によって家族を一昼にして奪われた俺にとって、西条考古学院の寮が家も同然で、ここにいられなくなるような事態だけはどうしても避けたいものがある。だからどんなに嫌でも行く以外に選択肢なんてなかった。

「すまんの。儂も彼とはなかなか馬が合わなくてな」

だったら院長なんてやめてしまえばいいのに。そんな言葉を溜め息に換えて理事長室に向かうことにした。

一体何の話をされるのやら、思い当たることを一通り並べてそれぞれの返しを頭の中で考えていく。結局、思い当たることがあまりにも多すぎて理事長室に到着する頃には半分のシミュレーションも終わらなかった。また溜め息をついてドアノブに手をかけた、その時だった。

『霜月要は追放すべきだ!』
《霜月要は追放すべきだ!》

フラッシュバックと呼ばれるものだろうか。部屋の中から聞こえた怒号と重なるかのように、記憶の片隅から掘り起こされたかのような声が聞こえた。

――何だ、これ……。

言葉の内容に対するショックと不可解な事態に頭が追い付かず、呆然とした脳内には耳から無造作に入ってくる言葉が次々と流れ込んできた。

『理事長……何もそこまでしなくても』
《理事長……何もそこまでしなくても》

『西条考古学院のトップはこの私だ! あんな子供に奪われてたまるか!』
《西条考古学院のトップはこの私だ! あんな――》

俺は、このやり取りを知っている。否、“覚えている”。いつ聞いた? どこで聞いた? そんなの決まっている。今、ここで聞いたんだ。俺は――“2回目の今を生きている”。

どういうことだ? 一体どうなっているんだ?堂々巡りの疑問がただひたすら頭の中を埋め尽くす。
何だよこれ、やめてくれよ、もうやめてくれ!!

気づいたら、郊外の大通りの交差点に立っていた。

「どうしちまったんだよ……」

呟いたところで、声も喧騒に吸い込まれる。
もう、何もわからなくなっていた。さっき直感的に分かった“2回目の今を生きている”意味が分からない。

無意識のうちに、首元を触っていた。そこには何もない。何もないのだが、何かがなくちゃいけないと思った。何か大切なものが失われている気がした。

ふと、周りが騒がしくなった。我に返った俺が見たのは、信号無視をしてこっちに向かって突っ込んでくる大型トラックの姿。けたたましいクラクションが鳴り響く。頭に響いてくるその音を聞いたとき、俺はすべてを思い出した。

まったく同じ人生を歩んだ前世の存在。すべてに嫌気がさしてトラックの前に飛び出した自分の姿。すべてを投げ出した俺がたどり着いた、この世界リボーンの世界

――――死にたくない!!

「危ない!!」

誰かの叫び声とともに、腕を後ろに大きく引っ張られた。反動でバランスを崩し、2、3歩よろめいた後にしりもちをつく。直後、目の前を割くほどのトラックが猛スピードで走り抜けていった。風で髪がかき乱される。1秒でも遅れていたら轢かれ死んでいたのではないかという恐怖が一瞬で襲ってきた。

一体誰が助けてくれたのだろうか。思わず視線を上へと滑らせる。相手の顔をとらえたとき、俺は息をのんだ。

薄い赤(濃いピンクといった方が正しいかもしれない)色の長い髪、綺麗に透き通った海を彷彿とさせる瞳。
世間一般的にどう見ても浮いていそうなそいつが何の違和感もなくそこに佇んでいられるのは、寒色であるはずのその眼差しが温かみを湛えていたのが要因だと思う。

「大丈夫ですか? お怪我はありませんでしたか?」
「っ。助けてくれなんて言ってないだろ」

だから、嫉妬してしまったのかもしれない。氷のようだと蔑まれた俺には眩しすぎたのかもしれない。俺には手に入れられないものを持っているのが羨ましかったのかもしれない。ありがとうと言いたかったはずの俺の口から飛び出したのは、そんなそっけない不愛想な一言だった。

「おや、お礼の一つもないのですか」

赤ぶちの眼鏡の奥から覗くガラス玉のような目が細められる。そこで、俺の性格が祟った。こういう顔をされると、自分に非があると自覚していても謝る気力がうせてしまうのだ。

「誰が礼なんか言うかよ。じゃあな」
「あっ、待ちなさい!」

結局まともに礼の言葉も言えないままに俺は足早にその場を去ってしまった。歩きながら、ただイラつきを感じていた。何に対してイラついているのかさっぱりわからない。わからないけど、今日1日の出来事が原因であることだけははっきりしていた。

気が付くと、また首元をいじっていた。さっきは何が足りないのかさっぱりわからなかったが、記憶を取り戻したことでようやく大切なことを思い出した。チョーカーがないんだ。どういう仕組みかはわからないが、何もかもが繰り返しなこの世界で、俺を救ってくれるはずだった唯一無二の親友とは、一度も会うことは叶わなかった。

なんで、何で、何で何で何で……!!

刹那、体が浮いた。遅れてやってくる身体中の痛み。ぐるぐると視界が回る。地面に投げ出されてもなお、未だに何が起きたのかわからない。
痛い、痛い、体が動かない、どうして。

「今、救急車を呼ぶからね!」

そんな声が聞こえる。ああ、なるほど……俺……轢かれたのか……。何だ……結局死ぬんじゃないか……。……最悪だ……何が転生だよ……何がリボーンだよ……何が2回目の人生だよ……!! 何にも関係ないところでみじめに死んでんじゃねえかよ……ッ!!

「ちく……しょう……」

静かに息を吐くと、それ切り体が動くことはなかった。

†‡†‡†‡†‡†‡

目を開けたとき、真っ先に認識したのは“白”だった。死んだからまた銀のいる世界に来てしまったのだろうか。そう思ったが、その考えは即座に否定された。

俺が寝ている隣に、院長がいた。

「っ!?」

慌てて身を起こすと身体中に激痛が走った。俺……生きているのか? 信じがたいことではあったけど、どうやら本当に生きているらしかった。

「体の方はどうじゃ霜月」
「いや、これで大丈夫に見えたらアンタの目は節穴っすよ」

社交辞令なのだろうが、笑えない話に思わず半分ほど敬語がすっ飛んで行ったが知ったことじゃない。

「病院から連絡がきたときは何事かと思ったものじゃ。理事長室に向かっていたのではないのか? 何故あんなところにいたのじゃよ」

理事長室という言葉にドキリと心臓が跳ねた。そうだ、元はといえばそれがすべての元凶だったんだ。呼び出されて向かった先で、部屋に入ろうとした矢先で、耳にしてしまったあの言葉。あれのせいで色々と狂っていったんだ。

震えそうになる手を握り締めて抑え込み、何とかごまかす。小さく息を吐く。言わなきゃ。

「院長……そのことで話があります」
「なんじゃ?」
「……俺、もうこの学院にはいられないみたいです」

驚きを隠せずにいる院長にすべてを話した。理事長が、噂なんかじゃなくて本当に俺のことを嫌っていること。俺の学力を恐れていたこと。追放すべきだという、あの一言。全部、話した。

「……そうか」

彼は黙って聞き続けてくれた後に、そうぽつりと呟いた。やっぱり、この人は何も知らなかったんだろう。理事長が勝手に騒いでいるだけなんだろう。俺と同じで、この人も理事長あいつと馬が合わなかったから。

しばらくの沈黙が続く。結局どうすればいいのかわからなくなって、だんだん居心地が悪くなる。けれども、やがてそれも終わった。

「これから先、行く当てはあるのか?」
「……いえ、まったく。……俺にはここしかないって、アンタが一番よく知ってるじゃないですか」

院長は、西条考古学院で唯一俺の事情をちゃんと把握してくれている人物だ。こうして気さくに会話ができているのはそういった事情も少なからずあった。

だからこそ。だからこそ、俺はこの学院に通い続けることを望んでいた。全寮制で、飛び級制度があって、卒業年が決まっていなくていつまでも在籍することのできる、この“特殊大学”である西条考古学院に通い続けることを。

けど、それすらもう叶わなくなってしまった。

「霜月、確かもうすぐ中学生になる歳じゃったな」
「え? ああ、はい。もう12になりましたし、次の春からは中学1年と同じ年になりますね」
「ちと遠いところになってはしまうが、儂の昔なじみが校長を務めている公立の中学校がある。行ってみる気はないか? ここの在学生でなくなる以上、それ切り儂からの援助を出すことは叶わぬが、向こうに話を通せば少しでも生活が楽になるはずじゃ」

公立の中学校か……。確かに私立校に比べたらずっと通いやすい部分があるし、親の貯金や学院からもらっていた奨学金もあるからしばらくアパート暮らしでもしていれば余裕で持つかもしれない。

……って、待てよ。危うくダイレクトに忘れ去るところだったけどここはリボーンの世界(のはず)だ。俺はもうすぐ中学生になって、原作が開始されるのも確か沢田綱吉が中学1年生の春ごろ。俺がこうして記憶を取り戻しているのが何よりの証拠だ。そして今、このタイミングで、普通の中学校に入学しようとしている。――まさか。

「あのー、一応学校名聞いてもいいですかね」
「んむ? 確か、並盛中学校といったな」

やっぱりな!!
なるほど、そういう仕組みになっていやがったのか。おかげでさっきまでの嫌な気分が吹っ飛んで行ったぜ。こんな一世一代の大チャンス、逃すはずがねえ。リボーンの世界に転生しておいて、黒曜中に行くならまだしも、舞台となる並中への道を蹴るなんて馬鹿な真似は絶対にしない。

中学の名前を聞いてからだんまりになった俺に不安を抱いたのだろうか、院長が少しばかりこちらの表情を窺ってきていた。

だから俺は、わざとらしくニィッと笑って見せた。

「行くよ、並盛中学校。せっかくのチャンスだもんな」

原作が始まるまであと数ヶ月。舞台に突入する準備は整った。俺の転生ライフの本番まで、あと少し。

けれど、この時の俺は知らなかった。傍観しようとするその気持ちが、あまりにも楽観的過ぎたことを……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です