5、『ありがたく頂戴します』

「霜月さん」

聞きなれない声がかけられる。女の声である時点で沢田綱吉の声ではない。沢田綱吉の声でないのはいいけれど、なんだか嫌な予感のする声でもある。聞きなれないとはいえ、一度耳にした声は忘れない。
そう、この声は――

「長谷川、やちる」
「こんにちは、霜月さん。あの日ぶりですね」

並盛中学校生徒会長兼クラスメイトである長谷川やちる。あの日ぶり、という言葉に少しばかり眉が動いた。どうやら、やはり覚えていたらしい。

「なんか用か。お礼を期待してんならそのまま帰れ。言う気はさらさらないからな」
「あら、命の恩人じゃないですか」
「頼んだつもりはない。そもそも、あん時は死ぬつもりだったんだ」
「自殺マニアですか?」
「誰がだ。ぶっ飛ばすぞ」
「ふふ、冗談ですよ」

くすくすと笑うそのガラス玉のような瞳がいたずらに歪んだ。
不意に、やちるの手が要の席の机上に置かれる。一度その手に視線を移し、また彼女を見上げると、やはりまだ笑っている。

「再会のお祝いですよ」

小さな声で言い残すと、くるりと背を向けて自分の席へと戻っていった。滑るようにまた視線が机上へと移る。そこに置いてあったのは……『ラ・ナミモリーヌ』の期間限定割引券。何故に。
周りの目を気にしながら隠れるようにその券をそっと鞄にしまった。

「要ちゃんってケーキ好きなの?」
「うおぃっ!?」

というわけにもいかず、不意打ちでかけられた声に奇声を上げてしまった。弾かれたように振り返ったそこにいたのは、メインヒロイン・笹川京子だった。笹川京子といえば、三浦ハルと並ぶ無類のケーキ好きだ。そんな彼女に見られてしまっていた。よりにもよって、この人物に。

「い、いや、別にケーキは好きじゃない、けど、その……」
「ねえ、今日の放課後に一緒に行かない? 私もちょうど行きたいなって思ってたの」
「え゙っ!?」

またしても変な声が出た。なにせ、原作第一話から学校のアイドルとまで言われた美少女・笹川京子からのお誘いである。女子でありクラスメイトである要はそんな彼女から誘われても何の違和感もない。しかし、モブ中のモブを徹しようと心に決めていただけあってこの展開は予想外すぎた。因みに、隣の席からは羨望の眼差しが突き刺さってやまない。

「あー、えっと、俺とでいいわけ? 多分、街で浮くぞ……」
「どうして? クラスメイトだもん、お出かけしたいな」
「あ、さいでっか……。じゃあ、放課後にでも」
「うん!」

平穏を保ってその場を乗り切っては見たものの、内心は全く穏やかではない。事実、頭の中で「原作前だからセーフ」を連呼しなければ現実逃避を始めてしまいそうなほどに穏やかではなかった。
クラスメイトという立場である以上、京子の言った通りともに出かけたりしても何の問題もないどころか違和感すらない。とは言ってもそれは一般的な間柄でのみ成立する話。要の場合、原作でメインを張る京子と仲良くなることで、リボーンが来てから目を着けられる確率が格段に上がるという大問題があるのだ。
そんな危険があるにもかかわらず、無理やりにでも京子の誘いを断ったりしなかったのは、決して京子に嫌われたくなかったからなんて理由ではない。もとより仲良くなる予定がなかったうえに今まで散々嫌われて生きてきた要にとって嫌われたくないなんて気持ち自体が今更過ぎることだ。どうしても断れない理由が、そこにはあった。

「要ちゃんて見た目によらないんだね」

時間は過ぎて放課後。並盛一の有名店『ラ・ナミモリーヌ』から出てきた京子はいつになく嬉しそうな声で呼びかけた。少し遅れて現れたのは、こちらもまたいつになく嬉しそうな顔をしている要だ。その両手には、買えるだけの数を買い占めたチーズケーキの詰められた袋を下げている。

「甘いものって嫌いなんだけどな、なんでかチーズケーキとイチゴ牛乳だけは好きなんだ。あ、でもレアチーズは無理、吐く」

要は近年の子供の中でも異常なほどに食べ物の好き嫌いが多い。特に甘いものは大の苦手だというのに、同じく甘いものに分類されるはずの上記二つに関してのみ、好物の1位2位を争っているのだ。もはや中毒の域に達しているほどに。

「私ね、よくお菓子作りしてるんだけど、今度チーズケーキも作ってみようかなって思ってるの」
「マジか」
「そしたら要ちゃんも食べてくれるかな」
「ありがたく頂戴します」

菓子友だったら何の問題もないかも、だなんてゆるゆるに思い始めている単細胞野郎・要であった。

「っと、もうこんな時間か。悪ぃ、晩飯作んなきゃだしもう帰るわ」
「そっか、一人暮らしなんだね。うん、また明日ね」
「おう」

商店街の時計を見て慌てて用事を思い出し、そのまま店前で別れた。近くに並中生がいないことを確認しながらなるべく人通りの少ない道を選んで家に急ぐ。こんな性格なのにケーキが好きだなんて知られたら恥以外の何物でもない。こんなことを知っているのは京子と沢田家だけで十分だ。
あまりに急ぎすぎたのか、家に着くころには肩で息をしていた。相変わらずの体力の無さである。
玄関の扉に手をかけると、出かけるときには確かに施錠したはずの鍵が開いている。普通なら驚くところだが、あの日以来毎日のように繰り返していたら全く驚かなくなってしまった。

「よぉクソ神。勝手にくつろいでんじゃねえ……よっ!」
「ぐぼあっ!」

代わりといっては何だが、蹴りにだいぶ勢いがついてきた気がする。嬉しい限りだ。

「おま、お前……毎回出会い頭に顔面蹴るとか、ねぇだろ……」
「毎回連絡もなしに飯をたかりに来るテメェに言われたかねえな」
「いいじゃん別に」
「よくねえよ」

主に食材費的な意味で。

「学院に通ってた頃は支援とかもあったから困ったことなんかなかったけどよ、今じゃ親が残してった貯金を切り崩して何とか生活してんだよ。あんまし無駄な一人分の食費を増やすなんて無駄なことはしたくねえんだけどな」
「無駄って2回言ったよこの子……」

ふと、ぽんっという軽い音がした。何かと思えば銀が手を叩ていいこと思いついた、とでも言いたそうな顔をしているではないか。

「そうだ、その話しなきゃって思ってたんだった」

訂正。思い出した、という顔だった。

「神界のルールじゃないんだけどさ、無条件転生した奴の生活費、支援してんだよね」
「はい?」
「無条件転生した奴ってさ、まあ言っちゃえばお前みたいな境遇の奴なわけ。親がいないってのはいろんな方面でも生活が困難になるわけよ。それを俺が独断で助けてやってんの」

お前は馬鹿か。思わず飛び出しかけたそんな言葉を寸でのところで飲み込んだ。
無条件転生の人数がそんなに多くないのはなんとなくわかっているが、それでもその全員に支援していると考えると、なぜそこまで手を尽くす? と疑問しか出てこない。

「で、いくら欲しい?」
「はあ?」
「だーかーらー、学費とか家賃とかは俺が払うから、パーッと遊んで使いたい分言ってみ」
「お前は馬鹿か。おっと本音が」

2、3度咳払いをして何とか落ち着くが、冷静になってみてもやっぱり意味が分からない。訝しげな視線を送ってみるも、銀の笑顔は変わらない。

「だってぇ、甘やかしたいじゃん。境遇に負けじと頑張ってる子って応援したくなるじゃん」
「100億」
「ふぁいっ!?」
「冗談だ。1万でいい」
「ひゃいっ!?」
「何なんだよそのリアクションは」
「い、いやあ、さすがに1万は少ないんじゃないかと」
「あのなあ、たかが中学生だろ。月5000でも余裕だっての」

そうは言ってもこの広い世の中、さらっと月10万を消費する小学生もいるわけで。小遣いが50万じゃないと「おやころ」になる中学生もいるわけで。常識とはいいがたいがそれと比べると確かに要は欲がない。だが、チーズケーキとイチゴ牛乳中毒者ということを除けばもとより無欲に生きてきた人間だ、5000とは言ったが彼女なら3000でも余裕だろう。
しかし、親の貯金を気にしながら過ごしていた要の生活を知っているからこそ、好きなものを我慢している姿を時折見せるからこそ、銀は自由にお金を使ってほしいのだ。悲しいことにその想いは本人に伝わることはないのだが。

「ま、いっか。お前がそれでいいならさ」

ふわりと笑う。それは優しく、柔らかくて、いつも見せているものと何ら相違ない普段通りの笑み。
心の奥が、ズキリと痛んだ。
まただ。また、この感覚だ。銀が笑うたびに感じる、謎の胸の痛み。

「要? どうかしたのか?」
「え……? ああ、いや、なんでもない」

自分でもなんだかわかっていないことを他人には言えない。特に、こいつには、目の前にいるこの優しすぎる男には。痛みと共に、そんな思いを胸の奥にそっとしまった。

「んじゃ、お金は毎月1日に財布に補充しとくから」
「ん、サンキュ」
「因みに今月分は今入れた」
「マジか」

財布を引っ張り出してみれば、確かにそこには諭吉がほほ笑んでいる。仕事の早い奴だ。
それからしばらく、世間話をして時間を過ごす。だが、すこしずつ銀の様子がおかしくなっていた。どことなくそわそわとして、どうにもぎこちない。どうしたものかと要は首を傾げた。
刹那、甲高い音が部屋中に響き渡った。ジト目の要と赤面する銀。

「ごはん頂戴!」

このコンマ秒後、彼の顔面に強化された要の拳がめり込んだのは言わずもがな。

†‡†‡†‡†‡†‡

ほくほく顔で神界に帰った銀を待っていたのは、へとへとに疲弊しきった漣志だった。疲れている、ものすごく疲れ果てている。

「……何やってんの?」
「『何やってんの?』じゃないっスよ……。センパイがすぐに人間界に遊びに行くから、不足分の神力まで俺が負担してるんスからね……」

オルゴールのような小さな箱を抱えながらよろよろと歩く漣志。差し出されたその箱は小さく淡く輝いていた。まるで太陽のように暖かく、陽だまりのように優しいオレンジ色の光。

「あー、お疲れさん」
「お疲れさんって、それだけっスか!? センパイの代価分で3ヶ月分くらい神力持ってかれてんスよ!?」
「えー、それはさすがにダサすぎ」
「センパイと俺の神力差わかってそれ言ってます!?」

満身創痍で叫ぶ漣志だが無理もない。漣志は銀の直属の部下、とは言ったが、何もそれは漣志のランクが銀のそれの次であることとイコールではないのだ。基準をそこに充ててしまえば、漣志は下級中の下級であり下っ端同様であるのに対し、銀は最上級に最も近い神なのだ。2人の神力には圧倒的な差があった。
だというのに、ここ数日ずっと銀が要のもとに遊びに行ってしまうせいで必要になる神力が不足してしまっているのだ。もともと銀の神力をベースに作り出された装置だ、彼がさぼればその分は必然と漣志の負担となり、圧倒的神力差によって哀れな少年はここまで追いやられてしまったのだった。

「つーか、元はといえばお前があんなことしたからこの装置作ったんだぜ? 自業自得じゃねえの」

しかしそこに慈悲をかけるほどこの男はやさしい性格をしていなかった。哀れなり。

「あ、要からチーズケーキもらったんだけど食べる?」
「…………。……貰うっス」

ああ、この人のマイペースは死んでも治らないな。そう悟った漣志であった。尤も、神であるために死という概念自体が存在していないのだが。

「霜月要、でしたっけ? なんでそんなに入れ込んでるんスか?」
「は? 別に入れ込んじゃいねえよ。普通だよ、普通」
「そうは見えないっスけどね」

嬉しそうにケーキを箱から取り出す上司を見つめながら小さくため息をつく。
一体何処が普通だというのか。今までに彼を人間界に縛り付けた転生者がいただろうか。今までに、ケーキ一つで彼をこんなに幸せそうな顔にさせた転生者がいただろうか。

「あ、それとセンパイ」
「んー?」
「大神様から届け物来てたっスよ」

刹那、ホールのままケーキにかぶりついていた銀がむせた。というかこの人、結局ケーキを独り占めにする気なのではないか?

「え、どこ?」
「執務室の机の上っス」

食べかけのケーキもそのままに、執務室にかけていく彼の後を何となくついていく。
大神様というのは神界におけるトップであり、漣志からしたらその姿すら見たことのない、文字通りの雲の上の人だ。そんな人から自分の上司宛に荷物が届けばいやでも気になる。
机の上に置いてあったのは小包だった。銀にしては珍しく丁寧に梱包を解いていく。そこから出てきたのは、黒いチョーカーだった。赤い石のはめ込まれた金色のロザリオがついた、真っ黒のチョーカー。

「あれ、それって前にも持ってませんでしたっけ?」
「き、気のせいじゃね?」

どことなく見覚えがあって何となくで問いかけたのだが、何故か問われた側は大慌てでそれを服のポケットへと押し込んだ。漣志は首を傾げる。そんなに難しい質問をした覚えはないし、何よりこの人は部下の前でこんなにあからさまに焦りの感情を出す人だっただろうか? 少なくとも、ここ数百年彼の部下をしている間は一度たりとも見たことがない。
彼は一体、何をしているのだろうか。

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