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「んー、涼しくて気持ちーっ」
爽やかな風が吹き抜ける中で軽く背伸びをする。入学してからしばらくの間はだいぶゴタゴタしたものの、それもすぐになくなり、1人の時間を作ることに成功した要はここ最近はよく朝に屋上へとやってきていた。理由は単純至極、静かな時間が欲しかっただけだ。グラウンドを見下ろせば、野球部を含む多くの運動部が朝練を行っている。まさしく日常のワンシーンともいえる光景に安堵の息をついていた。
「野球部……ってことは山本が……あ、いた」
原作主要メンバーである山本の何気ない朝練姿を見てにやにやする不審者であった。
ふと、運動部とは違う、荒々しい叫び声のような、不快ではないとは言い切れない音が要の耳に届いた。どうやらそれは下を歩いている生徒達も同じようで、誰もが足を止めて音のする方を向く。目を凝らせば、土埃を巻き上げながら猛スピードでこちらへ向かっている。
要はそれに心当たりがあった。というより、心当たりしかなかった。
「え……今日から……? マジで?」
慌てて校門の方に目を向けると、ちょうど笹川京子と先輩である持田剣介が話しながら登校してきているところだ。そして確信した。
今日が原作が始まる日だ。
予想を裏切ることなく土埃の中から現れたツナは、校門の前で盛大な告白をするのだった。
「笹川京子、俺と付き合ってください!!」
しかしこの男、パンツ一丁である。悲鳴を上げた京子と共に、屋上まで届いたその声を聴いた要もまた、校舎内へと駆け込んだ。要が教室に着くころにはすでに話はつい先ほど起きた大事件で持ち切りだ。
「大丈夫、京子? まあ気にすんなって」
「えっと、そうじゃないの。そうじゃなくて」
だいぶ頭が混乱してしまっている京子のことを親友である黒川花がなだめているが、致し方ないだろう。ろくに話をしたことのない男子から、しかもパンツ一丁の男から告白されてしまったのだから。しかもクラスメイトに。
「なんつーか、災難だったな?」
菓子友のよしみで声をかけてみるもいかんせん慰め方が分からないので疑問形になってしまったのは許されたい。だって本音としては、傍観者としてあまりにもシュールな光景を目にして大爆笑してやりたい気分なのだから。しかし京子を傷つけるのは忍びない要にとってそれはさすがにできなかった。
「おい、変態のお出ましだぞ!」
誰かが叫んで教室中の視線が一点に集中した。そこに立つツナはあからさまに入るのを嫌っていた。ちらりとその視線が要へと向けられる。助けて、何とかして。しかし当の要は、無理、と言いたげに肩をすくめただけだった。
刹那、ツナの足が地面を離れた。
「一名、武道場にお連れしまーす!」
胴着に身を包んだ彼らによって、ツナは一言も発することなく教室の前から姿を消した。それに続くように他の生徒達もドヤドヤと後を追う。
「持田先輩がさっきの落とし前つけるらしいよ」
「俺の京子を泣かせた奴は許さん! だってさ」
「あついねぇ」
「そんなんじゃないよ! 持田先輩とは委員会が同じだけで」
「お堅いこと言わないの」
近くにいた女子達がは京子のことを一通りからかってから、やはり教室を出て行った。
それからしばらくして、生徒会長でもある長谷川やちるが教室に現れた。あまりにも人数の少ない教室を見て訝し気に首を傾げた。
「一体これは何事ですか?」
「実はさっきダメツナが――」
まだかろうじて教室に残っていた男子が事の顛末を説明する。小さくため息をついたやちるの口が、『今日、でしたか……』と動いたのを要は見逃さなかった。しかしすぐに生徒会長の顔に戻り、やちるも同じようの武道場に向かうことを告げた。今度こそと言わんばかりに男子はみな後を追い、女子も要と京子達だけとなってしまった。
「どーすんの京子」
「え、私は別に……」
「でもこの騒ぎの中心ってアンタよ? さっきの話聞いたでしょ? 持田先輩はあんたのためって言ってるみたいだし」
「だから誤解なんだってば」
「男はみんな単純馬鹿なのよ」
一通りそんな会話をした後、花の説得で京子も武道場に行くことになった。
「ねぇ、要ちゃんは行くの?」
「んえ?」
ふと気づけば教室には誰もいない。否、この階すべての教室に残っている生徒などいない。このままでは間違いなく数十分は1人でお留守番をする羽目になってしまう。この騒ぎだ、朝礼の時間になろうとも教師すら姿を現すことはないだろう。少なくとも彼女らの担任である熱血女史・新島は。
「行く。他にすることねーし」
暇だから、というのは本音半分。もう半分は、原作が始まって最初で最重要であるこのイベントを見逃すのは残念極まりない、という理由だ。やちるが関与する可能性が0でないならなおさら。
あれ、あいつってもう沢田と仲良くなってたっけ?
そんな疑問が頭に浮かんだが、とにもかくにも行くしかないと思い、3人で武道場へと急いだ。
「うっわ……。学校行事より盛り上がってんじゃねーの、これ」
一言で表すなら、超満員。武道場の中心には2年生に羽交い絞めにされたツナとその目の前に仁王立ちする持田。アリーナから2階席まで生徒で埋め尽くされ、予想通り新島女史を含めた教師陣の姿も確認できる。
「さっき入口でなんか風紀委員が規制してたわよ」
「まあ、学校のアイドルを巡った事件だからな」
「ほんとそこよね」
「だから、違うんだってば!」
「ほら京子、一番よく見えるところまで行くわよ」
「ちょっと花!」
「おい黒川なんで俺の手まで引いて……っ!?」
どういうわけか要まで花によって引きずられ、アリーナの最前線までやってきてしまった。それを見計らったように、持田は突然大声をあげた。
「1‐A沢田綱吉! 今日という日を迎えたことを後悔させてやる! そして、笹川京子に手を出したことを後悔させてやる!」
なんかアイツ張り切ってるな。ええ、そうね。小声でぼそぼそと要と花の会話が混じる。
「今から俺とお前の真剣勝負だ。ルールは簡単だ、10分間でお前が一本でも取ることができたらお前の勝ち。できなければ俺の勝ちだ」
「ふうん、ハンデ付きだなんて意外と優しい奴なのね、持田先輩」
「騙されんなよ黒川」
「景品はもちろん笹川京子だ!」
「け、景品!?」
「うわ、超サイテー」
「だろ?」
さすがにこの言葉には京子もご立腹のようで、飛び出しそうになるのを花と要になだめられていた。恐らくは、たとえ持田が勝利したとしても京子の方から彼に近づくことは金輪際未来永劫なくなるだろう。
そんなこともつゆ知らず、ツナに渡した防具にあらかじめ細工を施したことによって勝利を確信している持田はニタニタと笑っていた。そしてツナはというと――。
「あれ、沢田はどこへ行った?」
「トイレに行きたいっていうんで行かせました」
見事に逃げおおせていた。確実になりそうな不戦勝に持田が高笑いしている姿に、1年勢からの好感度がガタ落ちしたのは言うまでもない。
そんな中で要と、少し離れた2階席から観戦していたやちるは、武道場の入口の方をじっと見つめていた。氷のような2つの双眸が見つめる先。いつも以上に険しく細められた視線に気づいた花が、いったい何を見ているのかと尋ねようとした、その時。
「ん、なんか聞こえね?」
叫び声のような、雄たけびのような。今朝ほど聞いたことがあるような音に誰もの視線が武道場の入口へと集まった。
「死ぬ気で一本取る!!」
そこから現れたのは、先ほどと同じくパンツ一丁になったツナだった。全員が見つめる中で、迷うことなく、ためらうことなく、彼は持田に向かって一直線に走った。
「ぶぁかめ! 竹刀も持たずに勝てると思っているのか! この勝負、俺様の勝ちだぁっ!!」
高々と振り上げられた竹刀がツナに向かって振り下ろされる。この時、誰もがツナの敗北を確信した。ただし、要とやちるを除いて。
「ふんぬっ」
ばぎばぎっ。不穏な音が聞こえたかと思えばツナの頭突きが持田の竹刀を破壊していた。何が何だかわからないという持田を押し倒し、ツナは馬乗りになって右手を大きく振り上げた。そのまま真っすぐに振り下ろし、
「一本どころか10本取った!」
持田の髪を強引にも大量に抜き取った。
一瞬の静寂。次に場を支配したのは、どっと沸きあがる爆笑の渦だった。
「ぶっ、あっははは! ツナの奴、考えたな!」
「確かに何を一本取るかなんて言ってなかったもんな!」
髪束を握り締めたまま審判を睨むツナだが、小さく悲鳴が漏れただけで旗が上がる気配は一向にない。
「ならば!」
悲惨な音を立てて持田の髪が次々と抜かれていく。
要はふと、京子の方に視線をやった。観衆と一緒に爆笑している花を挟んだ向こう側、そこにいる少女は目の前で起こっている出来事に釘付けになっていた。とても目をキラキラさせて、それはまるでヒーローに憧れる少年のような、王子と結ばれるプリンセスに憧れる少女のような、綺麗で無垢な眼差し。
あ、これは大丈夫だわ、一安心。心の中でほっとした。
「全部取ったどー!!」
叫び声に視線を戻すと、哀れにも坊主頭へと変貌を遂げた持田が床に転がってさめざめと泣いていた。その傍らには黒い塊を手にしたツナが立っている。
あまりにもシュールすぎるその光景に、さすがの要も思わず吹き出した。
「あ、笑った」
「んだよ、笑っちゃ悪いか」
「そんなことないわよ。いつも仏頂面だから笑わないやつだと思ってただけ」
「それだいぶ酷ぇセリフだぞ」
そうこうしている間に、身の危険を感じた審判がついにはツナの勝利を認め、場内が最高潮に沸き上がった。気づけばツナの死ぬ気も解除され、落ち着きなくキョロキョロとしている。
「ほら京子、行ってやりな」
「えっ? う、うん」
花に背を押され、京子はツナのもとへと駆けて行った。かくして無事に、ツナと京子は友達という立場に収まることができたのであった。
それからしばらくして、ツナの告白事件も持田戦事件も過去の出来事として忘れられ始め、少し前までの静かな日常が戻ってきた。あの日から、何故か花と要が謎の名コンビとして密かに噂されていくことは、本人含む原作メンバーは知らない。モブ達による、小さな小さな小ネタになるのだった。
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