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緊急事態発生。緊急事態発生。雲雀恭弥が入院した。
年の瀬も近くなってきたこの頃。気温も急激に下がり、防寒グッズが欲しくなってきたこの時期。その連絡は入ってきた。
「委員長が風邪をこじらせてしまって……」
死すらも逃げ出すんじゃないかと思われたあの恭が風邪を引いたどころかこじらせた上に入院してしまったのだ。あまりの衝撃に俺の脳内は冒頭にある通りに一瞬停止。しかしすぐにこれすらも原作に存在している話であることを思い出してすぐに復活した。
とは言え詳しく言うならば、別に恭が入院した話が描かれていたわけではなく、沢田の方でドタバタ劇が発生した結果沢田本人が入院する事態となり、さらにドタバタ劇を経て恭が入院する部屋へ相部屋することになった、という流れで恭の入院が描かれている程度だ。つまり……俺はさりげなくイベントを一つ見逃したことになる。入院の前騒動となる、並盛山でのあれこれには確かディーノも参加していたはずで、つまりつまり、ディーノ登場回すら見逃したことが発覚した。……あれ、俺ってお隣さんだよな……?
そう言えば笹川了平の登場回も見た記憶がないんだが、俺って思ってた以上にイベント見逃しすぎじゃね……? あれもこれも、全部風紀委員に無理やり入れられたせいだ。
「イベントはともかく、お見舞いに行かないとなあ……」
草壁さんに頭を下げて頼みこまれちゃ行かざるを得ないだろ。とは言え病院に向かうということは今回のイベントにモロで巻き込まれる可能性があるわけだ。沢田のあの騒がしさを病院で聞くとなるとあまりいただけない。かと言っても草壁さんの頼みを無碍にもできないし……。
「なんか、不幸だ……」
少なからず意気消沈しながらも、見舞い品の買い出しに向かうのだった。
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病院に行きついたものの草壁さんから病室まで聞き及んでいないことを思い出した俺である。さすがにさっきの今で電話で確認するというのも気が引けるので仕方ないから窓口で尋ねることにした。さすがに病院で周りを委縮させるわけにもいかないと思って私服で来たのだがどうやら悪手だったらしい。この目立つ容姿もこの世界じゃその辺の一般人と同等の扱いをされることもあって、病院からしたらどこぞの子供が“あの”雲雀恭弥を訪ねることに不信感を覚えたのだ。仕方がなし、風紀委員であることを伝えて念のために持ってきていた腕章を見せることにした。
「もっ、申し訳ありません! 雲雀様のお部屋ですね、少々お待ちください!」
そしてこの対応である。落差がありすぎてヤバいんだが。やっぱり風紀委員ってどうかしてるだろ。委員会じゃないだろ絶対。
待つこと1分弱。
「君が風紀委員の方かね?」
「え、あ、はい」
俺に声をかけてきたのはここの院長だった。何でわかるのかって? 原作知識だよ。どうやら『少々お待ちください』は部屋の確認ではなく院長への連絡案件だったらしい。
「雲雀君にはいつもお世話になっているからね、私が案内しよう」
「どうも……」
何このVIP対応。別に部屋さえ教えてくれればそれでよかったんだけど……やっぱり風紀委員ってどうかしてる。
並盛町において最も大きな病院であるここ、並盛中央病院は、並盛中風紀委員長である雲雀恭弥からの支援のおかげで潤滑な経営をしているという。割と、マジで、こいつ何者なの。そして何者なの。大病院の最もたるスポンサーが中学生でいいのか。
「ここが雲雀君の部屋だよ。雲雀君、入るよ」
名札のところには確かに恭の名前がある。恭の名前しかない。てか最初から名札が一人分。違和感なく個室ェ……。
ドアが開いた先には、上体を起こしているもののベッドの中でおとなしく読書をしている恭の姿があった。学ランを着ていない恭を見るのは初めてのことで思わず一瞬だけ戸惑ったとは本人には言えない。原作知識として知っていたにもかかわらず面食らってしまったのは、単純な話、実際に目にすると破壊力が半端ないからだ。
「やあ、君か。何か用かい?」
「えっと……恭が入院したって聞いて、草壁さんからの頼みもあってお見舞いに……」
言葉が尻すぼみになったのは何故だろう。
「風邪をこじらせたって聞いたんだけど、入院ってことは肺炎にでもかかったのか?」
「そうじゃないよ。大事をとってるだけさ」
ただ風邪をこじらせただけでこのだだった広い個室とは……流石としか言えない。
「じゃあ、これ見舞いの品」
サイドテーブルに置いたフルーツバスケットは途中の商店街で買ったやつだ。ちゃっかりパイナップルが入ってる意味を知ってるのは俺だけ。
「あんまり草壁さんに心配かけんなよ」
割とマジでそのうち胃に穴が開いちゃうんじゃないかと心配になるんだけど、10年後もしっかり側近してるんだよなあ、あの人。強すぎて尊敬しちゃう(メンタル的な意味で)。
あとは軽く風紀委員の活動状況を報告して帰ろう。少しでも草壁さんの負担を減らして帰ろう。そう思ってスクールバックから書類を取り出そうとした俺だったが、恭のあらぬ発言によって硬直することになった。
「ねえ、リンゴでも切ってよ」
うんちょっと待とうか。
「見舞いに来たんでしょ? なら食べさせて」
俺の知ってる雲雀恭弥こんなキャラしてない。え、誰だよお前。怖すぎて顔見れないんですけど。ナニコレどういう状況!?
「聞いてるの?」
「聞いてる! 聞いてるけど、いや、恭がそんなこと言うと思わなくて……」
「僕のことなんだと思ってるの?」
「メッチャ怖い人」
おっと思わず本音が。俺は悪くない。
あ、でもそうだ、そういえばこいつヒバードとかロールに対してはめちゃくちゃ優しくてファン卒倒モノの微笑みを見せるんだっけ。どういうわけか今俺に向けられてるのがそれに近い。……え、俺ってペットと同類??
軽く涙が出そうだ。
「皮剥くのそんなに得意じゃないけどいいか?」
「よっぽど酷くなければね」
なぜか備え付けてあった果物ナイフを使ってリンゴを切り始める。実際問題、ちゃんとリンゴを切ったことなんてない。切る機会すらなかった。兄貴がやたらと器用でウサギを作ってくれたのはよく覚えてるんだけど……。
結局、自炊してるだけあって包丁の扱いで大惨事になることはなかったものの、だいぶどころかかなり不格好なウサギもどきにすら見えない謎物体が出来上がったのだった。
「……ふっ」
「おいそこ笑うな。ガチで傷つく」
どうせ勉強しか能がない脳筋ですよ俺は。
「別にウサギにしろとは言ってないと思うけど?」
「……ぁっ」
「できもしないのにわざわざ切るなんて馬鹿だね」
「い い か ら 黙 っ て 食 え」
ムカついたから強制的に口の中に突っ込んだ。何か言いたげだが知るか。トンファー構える音がしたけど知ったことか。リンゴで窒息してしまえコノヤロー。
「もう帰る」
口をリンゴでいっぱいにした恭のことを放置して病室から駆け出した。さすがに今日は原作がどうのこうのと言ってられないくらいにさっさと退散したかった。途中で『沢田綱吉』と名札のついた病室を見かけた気がするけど無視。
病院を出てからようやく気分も落ち着いて、恭の様子でも草壁さんに連絡しておこうとスクールバックをあけて、ある事に気付いた。
……携帯電話がない。病院に来る道中でいじっていたのは覚えているから家に置いて来ていたというオチはない。ともすれば可能性は……恭の病室で落とした。
「えー……取りに行ったら絶対になんか言われるだろ」
なにせ“あの”雲雀恭弥の口の中にリンゴを詰め込んで逃げ出してきたのだ。かと言って携帯電話がないと不便なのもまた事実なわけで。なにせ学校に寄ることなく草壁さんに連絡を入れて家に帰る気が満々なのだから。え、だったら学校に行けって? 嫌だ。
背に腹は代えられない。観念して病室に戻ることを決めた。
「失礼しまーす……」
正直、怒っていてもおかしくない。開けた瞬間にトンファーが飛んできても不思議じゃない。こっそり静かに引き戸を開ける。
「……寝てる?」
しかしそこにあるのは、ベッドに横になって目を閉じている恭の姿だった。静かな寝息まで聞こえてくる。
なんだかんだでコイツの寝顔を見るのは初めてだ。なにせ昼寝名目で屋上に来る恭とは鉢合わせした瞬間に秒で退散していたし、なにより葉の落ちる音でさえ目を覚ますのだ、見てるはずがない。……ドアの音で起きてない? 大丈夫?
とにかく携帯電話を探そうとこっそり病室に入る。どうにか音を立てずに探さなくては……と思っていたのだが、案外すぐに見つかった。あろうことか、恭の手の中にあった。そう、“寝ている”恭がその手でしっかり握っているのだ。率直に言って悲劇。他人に起こされることが大嫌いな恭が“寝ている”状態で俺の携帯を握っている。
うそだろ……と思わず声に出しそうになったのを必死に抑える。葉の落ちる音で起きる化け物のいる部屋で呟こうものなら即死案件だ。入室音で起きていないのが奇跡なほどだ。
どうしたもんかね。さっきも言った通り、他人との連絡は携帯に頼りきりな部分があるもんだからこのまま帰るわけにいかない。かと言って寝ている恭を起こしてまで取り戻ろうとするべきかと言われるとそれも否定。そもそも何でお前が俺の携帯を持ってるんだよ。
仕方なく俺が出した答えは、“起きるまで待つ”。遅かれ早かれ起きるだろうその時をただひたすら待つ。1分、2分と過ぎていき、10分が過ぎ、30分が過ぎ……。
目が覚めた時には夕暮れ時になっていた。
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雲雀恭弥が目を覚ました時、最初に目に入ったのはベッドにもたれて眠る要の姿だった。初めて見るその姿に一瞬だけ戸惑う。何故こんなところで、と疑問に思うも、自分が握っていた携帯電話の存在を思い出した。
要が半狂乱で病室を後にしてすぐ、床に落ちているこれを見つけたので拾い上げたが、口に詰められたリンゴを食べているうちに眠くなってしまい、食べ終わるのと同時にそのまま眠ってしまったのだ。彼女は他人に起こされるのを嫌う|性質《タチ》であることを知っているからこそ起床を待ち、その間に自分自身が眠ってしまったのだろう、ということは安易に想像ができた。
「……起きなよ」
肩をゆすってみるが、うんともすんとも言わない。
「要、邪魔」
いつもなら即行で飛び退くような言葉をかけるも変わらず。
「…………」
髪を引っ張ったり頬をつねったり小突いてみたり、思いつく嫌がらせを仕掛けてみるが相変わらず反応はおろか起きる気配すらない。
「……要?」
いくらなんでもおかしいと気付くのに時間はいらなかった。まさか死んでるわけではないだろうと少しばかり不安になるが呼吸は確かにしている。それでも、まるで死んでいるかのように安らかな寝顔を晒し続けていた。いつものしかめっ面が嘘のように、年相応の少女の寝顔をしていた。
ふと、霜月要という人間が絶望的なまでに自己管理、特に体調管理ずさんであることを思い出した。食べ物だってチーズケーキ以外のものを口にしているところを見るのは殆どない。学校内で居眠りをしているところも見たこともない、仮眠をとっているところも見たことがない。つまり睡眠時間は風紀委員の活動規定から逆算できる範囲内。よく屋上で昼寝をしている雲雀や応接室で仮眠をとっている草壁に比べると、要は慢性的な睡眠不足ということになる。
『激務は避けるべき』
『体調が優れないようで』
『我々と違って女生徒です』
いつだったか草壁に言われた言葉を思い出す。後で考えると言ったものの、未だ何一つとして対策を練っていない。否、半分ほどもう忘れていた。
要のことを脅迫してまで風紀委員に引き入れた理由が|自己満足《エゴ》であることは充分に理解している。しているが、そのことに対して反省も後悔も存在していない。なにせそれが雲雀恭弥という男なのだから。首輪をつけて手元に置いておきたい。それ以上でもそれ以下でもない。
と、無機質な電子音が鳴りだした。要の携帯電話だ。ディスプレイには草壁の名前が表示されている。それを見ると躊躇うことなく通話にした。
「やあ、どうかしたかい?」
『いっ、委員長!?』
声が裏返る勢いで驚く副委員長の声は少し面白い。
『あの、霜月さんの携帯では……?』
「まあね。ぐっすり寝ているから代わりに出ただけだよ」
『そ、そうですか』
「それで、何の電話? もしかしてプライベート?」
『いえ、そういうわけではなく、委員長の様子をお伺いしようと……』
「君が気にすることじゃない。明日には戻るよ」
『しかし──』
その後に続く言葉は何だったのか。一方的に通話を切った雲雀にとっては興味もないことだ。携帯を閉じて要のスクールバックに戻したところで再度眠気が襲ってきた。あくびをして目を閉じると意識はあっさり闇に落ちた。
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